幾縁(いくえん)の中西明美さん
中西さんは、安心できる素材にこだわり、心温まるスイーツを作っています。
元介護職という経歴を持ち、料理を通じて人を笑顔にする喜びを大切にしています。
試練を乗り越えながらも、「お母さんが作るような優しい味」を追求し、現在はシェアキッチンやマルシェでパフェを提供。
これからも新たな挑戦を続け、夢の3店舗目を目指しています。
ホッとできるスイーツを求めるなら、ぜひ中西さんのパフェを味わってみてください!
出店情報はインスタグラムでお知らせします。
インタビューはここから
こんにちは。色々お話を聞かせてください。


はい。
中西さんはどんなお仕事をされているんですか?


パフェを中心とした焼き菓子を作っています。
アイスクリームは乳製品取り扱いの別許可が必要な為、手作りはできませんが、アイスクリーム以外はほぼ手作りです。
なので提供にちょっと時間がかかるかもしれません。
添加物の多い食材は極力使わずに作ることを大切にしています。

手作りで、しかも安心安全な素材にこだわっているんですね。


はい。
マクロビオテックの勉強をしたことがきっかけで食材の素材そのものの良さや味を知ってから、華やかではないけれど「おかんが家で作るようなホームメイドなお菓子」を作りたいと思うようになりました。
お母さんが作るお菓子のような温かみのある感じ、いいですね。最近のお菓子は添加物や保存料が多いので。


でも原材料の高騰が続く中で、どうやって原価を抑えるか、つまり売価を上げすぎない工夫が必要なんです。
それは、なかなか厳しいですね。
でも安心できる素材なら、少し高くても選ぶ人は多いと思います。


中西さんがパフェ作りを始めたきっかけ
中西さんがこのお仕事を始めたきっかけとか、ありますか?


私は昔は介護職でした。
高齢者の方々に向けて料理を作る機会が多く、その中で「美味しかったよ」と評価をいただくことがありました。その言葉が何より嬉しくて、ますます料理に情熱を注ぐようになりました。
褒められると、もっと頑張らないとって思ってしまう事もありますよね。


そうなんです。
その評価が高まるにつれ、仕事量も増えていきました。
真面目な性格が災いして、任された仕事に全力で取り組みすぎてしまったんです。
なるほど。


そして仕事が慣れるにつれ、より困難な事例のご家庭を訪問する機会が増えました。
さらに、突発的な依頼や対応が必要になることも多く、精神的にも肉体的にも負担が大きくなっていきました。
その結果、ある日気づいたら心身ともに限界を迎えていて、うつ病とヘルニアを同時に発症してしまったんです。
それは大変でしたね…。
身体も心も限界だったんですね。


そうなんです。
うつ病と診断されたときは、「なぜこんなことに…」という思いばかりが頭を巡りました。
それまでの自分の努力が全て否定されたような気がして、深い絶望感に襲われました。
でも、料理が好きだという気持ちは変わらなかったんです。
むしろ、「好きなことを大切にしたい」という思いが強くなりました。
その気持ちを支えにして、次の仕事として飲食店のパートに転職しました。
料理があったから、立ち直れたんですね。


それから十数年、私は飲食店でパートとして働いていました。
料理が好きだったこともあり、その仕事は楽しかったのですが、上司やオーナーの指示を受けて作る日々には、どこか物足りなさを感じていました。
自分で考えた料理やデザートを、自分の手で提供する場が欲しい――そんな思いがずっと心の中にありました。
しかし、実際にその一歩を踏み出すには、やはり勇気が必要で、しばらくはその夢を胸に秘めて働き続けました。

やっぱり自分の料理を出したい気持ちはずっとあったんですね。


はい。
そして2015年頃、ようやく自分で何かを始めたいという思いが現実になりました。
豊前の山奥にある廃校の一部を利用して、「幾縁」という名前のカフェを、ビジネスパートナーと一緒にオープンしたんです。
このカフェは週末だけの営業で、相方はコーヒーを担当し、私はマクロビオテックな料理を担当しました。
山奥の廃校を使うなんで、面白そうですね。


そうでしょ?
でも、山奥という立地ではなかなか集客が思うようにいきませんでした。
お客様が来てくださることもありましたが、経営的には苦しい日々が続きました。
そこで、場所を移すことを決断し、行橋市内に移転オープンすることになりました。
移転後は、食事の提供をメインにする予定でしたが、オープンしてわずか4ヶ月後にコロナウイルスの第1波が襲来しました。
移転してすぐにコロナ…。
厳しいタイミングですね。


本当に厳しかったです。
16席の店舗を1人で切り盛りするのは、思った以上に負担が大きく、食事の提供を続けるのは難しいと判断しました。
そこで、「ではデザートを中心にしよう」と考え、パフェを始めることにしました。
パフェは見た目も華やかで、年中を通して需要もある為、状況に合ったメニューでした。
パフェなら、お客様も喜んでくれそうですしね。


ええ。
でも、その後、約3年が経ち、ビジネスパートナーが退職しました。
同時期に、入退院を繰り返していた父の介護が必要になり、私は店舗運営を続けることが難しくなってしまいました。
最終的に、2023年6月にカフェを閉店する決断をしました。
長い間続けてきた店舗を閉じるのは、本当に辛い決断でしたが、家庭の事情を優先せざるを得ませんでした。
家族のことを優先するのは、仕方がないですよね。


はい。
その後、カフェを再開したいという気持ちを抱えながらも、場所が見つからず気分はどん底でした。
父の介護が続く中で、心の余裕もなく、どこか焦りを感じていました。
ただ、このままではいけないと思い、「やりたいことを全部やってみよう」と自分に言い聞かせました。
ダンスに行ってみたり、好きでもないことにも挑戦してみたりして、何とかモチベーションを下げないように努力しました。
行動していると、少しずつ前向きになりますよね。


そうなんです。
そして、2024年5月にペニーセーバーのシェアキッチンを見つけました。
これは私にとって本当に大きなチャンスでした。
自分の拠点が持てることが何より嬉しく、再スタートを切るための大きな一歩になりました。
そして、2024年6月、マルシェに初出展を果たしました。
どんなメニューを出したんですか?


桃のパフェです。
このパフェはお客様から評判が良く、嬉しいことに完売しました。
この成功は、長い間感じていた不安や挫折感を吹き飛ばしてくれるようなものでした。
すごい!それは嬉しいですね。


今後の目標
中西さんの今後の目標とか、ありますか?


これからの目標は、3店舗目を構えることです。
気の合う仲間を作って、長屋のような場所で一緒に生活しながら、おばあちゃんになっても飲食店を続けたい。
そんな未来を描いています。挑戦の日々は続きますが、料理が好きという気持ちを軸に、これからも歩んでいきたいと思っています。

最後に
では最後に、これを読んでくれた方に何か一言お願いします。


スィーツ専門店は他にもたくさんありますが、私はお母さんが自宅で作ってくれる様なホッとするスィーツ作りを目指してます!
今は不定期出店ではありますが、これからは今までに挑戦したことのない事にもどんどんトライして行こうと考えてますので応援よろしくお願いします。
中西明美さんのプロフィール

名前:中西明美
誕生日:1965.3.12
出身:和歌山県和歌山市
出身校:東筑紫高等学校
家族構成:だんな1名 娘×1 独立
好きな食べ物:和菓子 和食 果物
趣味:温泉 美味しいモノを食べる バイク
夢:3件目の店をかまえる
得意ならこと:1度決めたら諦めずにやり続けること
尊敬する人:1つのことをとことん追求してやれる人
1965年 | 和歌山市で生まれる |
1982年 | 父の転勤の為 関西から九州へ |
1984年頃 | 高校卒業後 住み込みで働きながら美容学校へ 美容師2年を経て信販会社へ転職 |
1991年 | 今の主人と結婚 子供を出産 |
1995年 | 介護ヘルパーカリキュラムを経て介護職に就く |
2001年 | うつ病と腰痛悪化から退職後 料理好きを生かして飲食のパートへ |
2015年頃 | 飲食店で働きながらローカルで廃校を利用した週末だけの店をOpen |
2019年 | 集客の為 移転Open |
2023年 | ビジネスパートナー退職 親の介護と重なり閉店 |
出店情報はインスタグラムでお知らせします。