【八幡東区】“ちゃんと作らなきゃ”を手放せる|頑張りすぎない料理教室『Maruru(マルル)』の寺井裕子さん

目次

料理教室『Maruru(マルル)』の
寺井裕子さん

毎日のごはんが、なんだかしんどい。

ちゃんと作らなきゃって思うほど、心が疲れていく——

そんな経験がある方に出会ってほしいのが寺井さんです。

特別な料理ではなく、味噌汁や煮物みたいな“いつものごはん”を大切にしながら、「これでいいんだよ」と背中をそっと押してくれる料理教室。

台所を、頑張る場所から笑顔が戻る場所へ変えてくれる先生です。

インタビューはここから

こんにちは。色々お話を聞かせてください。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

こちらこそ、ありがとうございます。
よろしくお願いいたします!

寺井さんはどんなお仕事をされているのですか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

私は、毎日のごはんを通して、家族もそうなんですけど…まずは台所に立つお母さん自身の心がラクになる、そんな料理教室をしています。

“お母さん自身の心がラクになる”って、ただの料理教室とは違う印象を受けます。
どんな教室なんですか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

レシピを覚える場所というより、「今日もなんとかやったなぁ」って、台所で一息つける時間を一緒につくる教室です。
特別なごちそうじゃなくて、味噌汁とごはんみたいな“いつものごはん”でも、「これでいいんだ」って思えると、気持ちが全然違うんですよね。
頑張りすぎなくても、ちゃんと家族は守れてる。
その感覚を、持って帰ってもらえたらと思っています。

“普通のごはん”を大切にされているんですね。
具体的にはどんなレッスンをされているんですか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

基本は「季節のおうちごはん」です。
家にある調味料と、スーパーで普通に買える食材で、「これなら私にもできそう」って思えるごはんを一緒に作ります。
盛り付けもお伝えするんですけど、高い器じゃなくて、100円のお皿でも大丈夫。
ちょっと置き方を変えるだけで、「ちゃんとしたごはん」に見えるんです。
あとは、平日がしんどくならないように、10分で仕込めるものとか、「週末にここだけやっておくとラクだよ」みたいな段取りも大事にしています。
料理が上手になる、というより料理のハードルが下がる教室かもしれません。

なるほど…料理のハードルが下がる教室なんですね。
実際に来られる方は、どんな変化がありますか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

表情が、本当に変わります。
最初は
「私、料理苦手で…」
「めんどくさがりなんです」
って言ってた方が、自分の作ったごはんを見て
「え、これ私が作ったん?」って笑ったり、写真を撮り始めたり。
その瞬間を見るたびに、あぁ、レシピじゃなくて安心を渡してるんだなって思います。

それは…通いたくなる気持ち、わかります。

編集長・上村圭
編集長・上村圭

料理教室で大切にしている事

寺井さんがこの料理教室で大切にしている事って、どんなところにあるんでしょう?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

頑張りすぎないこと。
でも、投げやりにならないこと。
この間の、いちばんしんどいところを一緒に探す感じです。
「今日はこれでいい」って思えるごはんがあると、不思議と自分にも家族にも、やさしくなれるんですよね。

素晴らしいですね。
ここまで寄り添ってくれる料理教室は、なかなか無いと思いますよ。

編集長・上村圭
編集長・上村圭

他にも、「ここは寺井さんならでは」と言える特徴はありますか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

レシピ以上に“暮らしそのもの”を大切にしているところだと思います。
プロを目指す教室でも、映える料理を目指す場所じゃないところ、ですね。
「今日の夜ごはん、なんか落ち着いたね」
「やっぱり家のごはんが一番いいね」
そんな空気を大事にしています。
また、100円のお皿や家にある器でも美しく見せる盛り付け術を取り入れていること、そして“賢くラクしていい”とつたえて、”ちゃんとしなきゃ”を、少し下ろせる場所でありたいです。

100円のお皿での盛り付け術。
かなり珍しい内容ですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭

実際に来られる方は、どんな悩みを抱えていることが多いですか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

「もう考えたくない」っていう、疲れですね。
何作ればいいかわからないし、でも手抜きしてる自分も嫌で…。
その気持ち、私も通ってきたので、まずは「わかります」って言うところから始めます。
料理って、上手になるより先に自分を責めなくてよくなることが大事だと思うんです。

料理教室を始めたきっかけ

寺井さんがこの料理教室を始めたきったけとか、ありますか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

正直に言うと、私自身が『家族の評価が気になる』『ちゃんと作らなきゃというプレッシャー』に押しつぶされそうになった主婦だったんです。

…そうだったんですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

「いいお母さんでいたい」「ちゃんとした嫁でいたい」「応援してくれる家族に恥ずかしくない自分でいたい」――そんな思いが、いつの間にか“誰かの期待に応える私”をつくっていました。

わかります。
気づかないうちに、自分で自分に課してしまうんですよね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

もともとは自宅でおやつ屋さんをしていましたし、フィットネスのインストラクターもしていました。
お菓子を焼く時間も、レッスンで身体を動かす時間も、本当に好きだったんです。
自分の好きなことで誰かが喜んでくれるのは、何よりのやりがいだったんです。

好きなことを仕事にされていたんですね。
それは素晴らしいと思います。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

でもそこに、子育てや嫁としての役割も重なっていきました。
子どもの行事、家族の予定、家事、仕込み、レッスン準備。
1日はあっという間で、気づけば夜中にキッチンで一人立っていることもありました。
正直、自分のキャパを大きく超えてしまった時期がありました。

想像するだけで大変さが伝わります…。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

“母として、妻として、嫁として、ちゃんとしなきゃ”と思って走り続けていたけれど、ある時ふっと糸が切れたように疲れてしまったんです。
子育てと仕事、家事のすべてを完璧にしようとして、いつの間にか笑顔が消えてしまった時期がありました。
料理をしていても「早く終わらせなきゃ」「栄養バランスは大丈夫かな」と頭の中はチェック項目でいっぱい。
楽しかったはずの台所が、いつしか“試験会場”みたいになっていました。

台所が“試験会場”……その表現、胸にきますね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

主人から、
『眉間にしわ寄せて作るくらいなら、笑ってコンビニのごはんを一緒に食べる方がいい。ママが笑ってることが一番大事!』
って言われたこともありました(笑)

素晴らしい方ですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

その言葉に、ハッとしたんです。
私は“ちゃんとしたごはん”を守ろうとして、いちばん大切にしたかった家族の空気を、置き去りにしていたのかもしれない、と。

なるほど、家族の空気。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

それでも、おやつ屋さんをしたことも、インストラクターをしたことも、私は後悔していません。
あれは間違いなく“私として頑張った時間”だったから。
必死だったけれど、確かに夢中になっていた時間でもありました。
あのときの苦しさがあったからこそ、今は“無理しなくていい”ということを、誰よりも大切にしています。
頑張ることが悪いんじゃない。
でも、笑顔を失ってまで抱え込まなくていい。
そう心から思えるようになりました。

その実感があるからこそ、今の想いにつながっているんですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

ただ、その中でひとつだけ、どうしても譲れなかった想いがあって――
それが『家族と囲むごはんは、私が作りたい』ということだったんです。
私の中には、母や祖母の味の記憶がずっと流れています。
煮物とか、お味噌汁とかその家の”味”がありますよね!
派手なごちそうではなく、いつもの煮物や卵焼き。
でも、その“いつも”があるだけで、家はちゃんと“家”になっていた。
我が家にもそれがある、それを子供達、お嫁さんや孫たちに繋げたいなって思ったんです!
もちろん、お嫁さんは、また自分の家族の味を作っていくんですけど、うちの味から派生してるものってあると思っていて…
食べると落ち着く、ホッとする味が繋がっていってほしいんです。

確かに。
特別な安心感がありますよね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

あの安心感が、私の原点です。
正直、毎日のごはんづくりは面倒だと思う日もあります。
疲れて帰ってきた日、何もしたくない日もある。
でも、誰かに任せたいかと言われたら、そうじゃない。
“この家の味は、私がつくりたい”という気持ちが、ずっと胸の中にあったんです。

義務じゃなくて、願いだったんですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

完璧じゃなくていい。
豪華じゃなくていい。
けれど、湯気の向こうに「おかえり」と言える食卓をつくりたい。
その想いに気づいたとき、私は派手なケーキでも、特別な料理でもなく、“家族の心を支える普通のごはん”に、もう一度ちゃんと向き合ってみたいと思いました。
頑張りすぎない、でも大切なものは守る。
そんな台所のあり方を探し始めたんです。

それが、今の料理教室につながっていくんですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

でも、そうして始めた教室ですが、実は最近まで、どこかブレーキをかけていた部分があったんです。

ブレーキ、ですか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

はい。
「ビジネスなんだから、あんまり家族のことばかり出すのはプロとしてどうかな……」って。
でも、その迷いを見透かしたように、娘がズバッと言ってくれたんです。

娘さんが?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

「ママの機嫌が、家の機嫌やけ!」
って。
「ママがこの仕事で伝えたいのは、ごはんをきっかけに家族がニコニコできる『場』を作ることやろ? だったら、もっと『家族』を軸にしたらいいやん!」
って。

……すごい。
娘さん、寺井さんがビジネスの体裁を気にして、一番大切な「種火」を隠そうとしているのを見抜いたんですね。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

本当ですよね。
娘の言葉を聞いて、やっと吹っ切れたんです。
私が守りたいのは「レシピ」じゃなくて、「お母さんがご機嫌でいられることで生まれる、あったかい食卓の空気」なんだって。
だから私にとってこの仕事は、ただのビジネスというより、過去の私へのねぎらいであり、いま台所に立つ女性たちへのエールでもあります。
「ちゃんとしなきゃ」に追われている誰かが、少し肩の力を抜いて、それでも“自分の家の味”を大切にできるように。
いまは、あの頃の私にそっと手を差し伸べるような気持ちで、生徒さんと向き合っています。
台所は、戦場じゃなくていい。
笑顔が戻る場所であってほしい。
そんな願いを込めながら、料理教室を運営しています。

きっと、その想いに救われる人がたくさんいると思います。

編集長・上村圭
編集長・上村圭

今後の目標

寺井さんの今後の目標とか、ありますか?

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

教室を継続的に続けていくことや、SNSで発信を広げていくことは大切だと思っています。
でも私にとって本当に大事なのは“数字”よりも、“どんな時間を届けたいか”なんです。
まずは、毎月の教室を無理なく続けられるペースで整えて、ここに来てくださる一人ひとりが『来てよかった』『またここにきたい』と思える場所にしていきたいです。
私のレッスンをきっかけに、
『ごはんを作る時間が少し好きになった』
『自分を責めなくなった』
『家族の食卓がやさしくなった』
――そんな小さな変化が、ゆっくり広がっていく教室でありたいと思っています。
SNSの発信についても、“たくさんの人に届くこと”よりも、本当に必要としている人に、ちゃんと届く言葉を届けたい。
忙しい誰かのスマホの中で、ふっと肩の力が抜けるような投稿を重ねていきたいです。
その先に、自然と生徒さんの輪が広がったり、たくさんの人に知ってもらえる未来があれば、それはとても嬉しいこと。
でも私の一番の願いはシンプルで――
『裕子さんのごはんに出会って、家の時間があたたかくなった』
『ごはんを作る時間がしんどくなくなった』
『おうちのごはんが一番美味しいって思えるようになった』
そう言ってもらえる料理教室であり続けることです。

最後に

では最後に、このインタビューを読んでくれた方に何か一言お願いします。

編集長・上村圭
編集長・上村圭
寺井裕子さん
寺井裕子さん

毎日のごはんが、しんどくなっている方へ。
ちゃんとしなくても、大丈夫です。
あなたはもう、十分やっています。
台所は、頑張る場所じゃなくていい。
笑顔が戻る場所であってほしい。
そんなふうに、ごはんを作る時間が少しだけやさしくなるお手伝いができたら、私はとても嬉しいです。

寺井裕子さんのプロフィール

名前:寺井裕子

誕生日:1970年12月15日

出身長崎市

出身学校:鹿児島市立紫原小学校、紫原中学校、鹿児島純心女子高校(高2まで)
西南女学院高校(高3のみ)筑紫女学園大学文学部英語学科卒業

家族構成:同い年の旦那様、コンサル長男(26歳)、バンカー次男(24歳)、ナース目指す長女(19歳)

好きな食べ物:和食、お寿司

趣味:読書(特に料理系)、料理教室へ行く

1970年12月15日 長崎市で2人姉弟の長女として生まれる。
幼少期に買ってもらった絵本のお菓子などの描写が大好きだった。海外のお菓子にも憧れた。食べることは大好きだった。
祖父は貿易商をしていたのもあり、ハイカラな人で、紅茶やパンをこのんだ。祖母もかまどでカステラを焼いて食べさせてくれていた。
母は、手間を惜しまず、感覚で美味しいものを作れる人だった。
1978~1983年父の転勤で鹿児島市へ
鹿児島市立紫原小学校へ編入、卒業
1983~1986年鹿児島市立紫原中学校に通う
1986~1987年私立鹿児島純心女子高校へ入学 高2まで在籍
1987~1989年父の転勤で北九州へ
高3から西南女学院高校へ編入、卒業
1990年筑紫女学園大学文学部英語学科入学
1993年ロンドンへ短期留学(ロンドン大学短期講習を受講し、そのままフランス、イギリス各地を旅して戻る)
1994年同大学卒業
1994年~朝日広告社入社 経理部配属
最初コピーライターとしてということだったが、入社直前で経理部といわれる。
教育係が母に近い年代の方で、面倒見がよく、私が経理部が不服でやめたいと思っていることも察し、『英語を活かして仕事がしたいなら、もっと学んで力をつけなさい』と英会話の先生をご紹介くださり、通い始める。勤めて1年半後、どうしてもこのままの状態が我慢できず、退職を考え、福岡市へ出ることを決める。
1996年~ホテルイルパラッツオ入社(清掃、ベルガール、フロント、ウエディングと経験する)
不規則な生活とストーカーのようなことがあり、退職
1997年~リクルートにてアルバイト
大学時代留学でお世話になった留学斡旋会社ISAにアルバイトでいいから雇ってくれと履歴書を持っていき、アルバイトで雇ってもらう。
その間、営業マンから引率のツアーを任せてもらい、高校生のホームステイの引率をする。その後、正社員へ。でもここでも情報処理という部門で、英語に携われず、システム導入をほぼ1人でこなしていた。
当時、隣の席がAir担当で、すごくかわいがっていただいたがその方が退職。次に来た人が同年代で、ニュージーランド航空の営業をしていた人だった。
自分が英語を活かして働きたいとその人に話していたら、ニュージーランド航空のランドを扱っていたマウントクックラインの九州代表が辞めるから人を探しているから紹介するといわれ、面接をしてもらう。
合格し、ISA退社。マウントクックライン九州支社代表となる。
ニュージーランド航空とエールフランスの2つの航空会社の委託業務にあたっていた善明社長と出会う。ニュージーランド航空の地方チャーター便3機を引継ぎとともに担当となる。農協観光などで農業視察で利用するということで席は埋まっていたが、引き継ぎが前担当者から曖昧だったため、農協観光の部長にどなられ、門前払いをくらうことになる。当時、デスクを並べさせてもらっていたニュージーランド航空の旅行会社ブルーパシフィックツアーズ九州支社長が『怒鳴られても帰されても、毎日通え』とアドバイスをもらい、毎日通う。
結果、チャーター便3機分現地手配を全てこなし、集客もトップとなり、最後、マウントクックライン日本代表と挨拶へ伺った時、農協観光の部長から、『この子は根性ある!この人に頼んでよかった!』といってもらえる。
1998年~マウントクックライン廃業。ニュージーランド航空、エールフランス航空の業務委託をしていた善明社長に『エールフランス航空に入らんか』と声をかけていただき、エールフランス航空へ入社。
予備校時代から付き合い、4年間遠距離をし、大学卒業手前で別れた主人と再会。友人のお世話もあり、再びお付き合いが始まる。
1999年9月15日北九州で結婚。両親は辞めさせたかったが仕事は継続。義両親は特に反対は当時なかった。大姑様、義両親と同じ敷地内の新居へ住む。
2000年9月26日長男出産。(妊娠3か月ごろ、切迫早産しかけて入院。子供が最優先と退社する。退社して大姑様、義両親のいる寺井家に入り、狭い世界中での生活と体型の崩れやおばさんになってしまうことへの抵抗もあり、摂食障害になってしまう。出産時に39kg。出産後、謎に母乳がよく出たため、
さらに減って34kgにまでなる。病院側も子宮がんなどを疑い、検査を勧められるも、異常なし。
2003年1月24日 次男出産。妊娠時、体重や生理が戻らず、メンタルクリニックを薦められるも、双方の両親にバレるのが嫌で、なんとか自力で克服。
この摂食障害の時に、実父から『いきることは食べること、食べることはいきること』と言われたことをずっと覚えている。その後もやはり、食べることがこわくなる時もあったが、学ぶことで整え方を知り、自身をコントロールできるようになり、食べることが好きだった子供のころのように好きなものを食べることができるようになった。
2006年当時、ブログでお菓子をのせていて、ネット上でお菓子交換会も頻繁に行なっていた。幼稚園のバザーで出したお菓子が即完売、その結果に調子にのり、大好きだったchabbitという雑貨屋さんに自分のお菓子を置いてもらえないかとオーナーさんへ直談判するも、お役所関係をクリアにしたら…といわれ、そこから物件を探し出す。
当時、自宅下に義妹が大学入学のために使っていたピアノ室があり、そこを改装してよいと義父からいっていただき、改装する。
2007年4月21日
初の我が家の女子、長女出産!

お菓子工房Maruruを始動させる。おうちカフェセットというロールケーキと焼き菓子のセットを全国へ発送。
2007~2010年雑貨市やマルシェなどで出店。数時間で完売していた。
このころから、料理教室やお菓子教室へ更に通い始める。
田中博子先生、三溝清美先生、小川ます美先生など。
2010年趣味で通っていたジャザサイズのオーナーからインストラクターにならないかと誘われ、オーディションを受ける。合格し、ジャザサイズインストラクターとしても活動を始める。この時から、主婦、お菓子屋さん、インストラクターと3足の草鞋をはくことになる。
2013年東京ビックサイトにてヴォーグ社主催ホビーショー出店 数時間で完売。
2016年頃憧れのchabbitでお菓子販売
2019年文理シェフのレシピとメニューのない料理教室入学
ジャザサイズ50周年イベントでアメリカサンディエゴへ。
2020年九電にてお料理教室開催
2021年美脚トレーナーコース修了。自宅にて体の悩みを抱えている方へレッスンを始める。(最初は無償)
2022年ジャザサイズインストラクター卒業
東京のキッチンスタジオにて料理教室開催
2023年骨格ベクトルトレーニングⓇ認定インストラクター取得。
骨格ベクトルトレーニングⓇ研究コース生として在籍。
2024年ホリスティック食行動学Ⓡ認定講師取得
盛り付け理論Ⓡ認定講師取得。
L’erableL’erable(藤沢かえで先生)ショートケーキマスターコースディプロマ取得
2025年L’erable(藤沢かえで先生)マカロンマスターコースディプロマ取得
国際食学協会食学A級取得
2026年料理教室を本格的に再開。
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